寺院概要

当寺の歴史・概要をご紹介いたします

寺院概要

宗派

天台宗

寺院名

玉嶋山 明星院 東江寺

本尊

薬師瑠璃光如来

通称

多田薬師(ただのやくし)

開創

天正11年(西暦1583年)

東江寺の由来

当山は玉嶋山明星院東江寺と号す。現在地(葛飾区東金町)へは昭和3年(1928)7月に、旧本所番場町(現墨田区東駒形)より移る。

多田薬師東江寺は今を去ること約423年前、天正11年(1583)江戸本所、隅田川のほとり(現・駒形橋近く)に開かれた。現本堂の宮殿(くうでん)の奥深く御厨子に安置されている薬師瑠璃光如来及び法華経八巻は『往生要集』で有名な恵心僧都・源信のお作と伝えられている。
この薬師如来像が多田満仲の念持仏であったことから普通には多田薬師と呼ばれていた。
満仲(912~997)は清和天皇の六孫王源経基の長男で、源満仲と言い、大江山の鬼退治で有名な源頼光の父、清和源氏(多田源氏)の基とされた武将である。

満仲は恵心僧都に帰依し(天徳2年)、摂津多田の郷に沙羅連山石峰寺を建立。
文永2年兵火にかかりお堂は灰燼に帰したが、本尊と法華経は八角の石櫃に収められ山中に埋めたものを慶長元年(1596)徳望家・多田宗玄が発見、仮安置をしたが同8年「もう少し広い所へ移り多くの人々を救いたい」という夢のお告げがあり、京都五條の因幡堂へ移し奉った。
その後、同じく五條の橋詰・若宮八幡宮のほとりに堂を建て石峰寺と号し、そこへ安置申し上げたということである。

その頃、徳川家康が江戸幕府を開き、それにともない江戸に移る者多く、多田薬師も、堺の比丘・聖珊によって天正11年東江寺に移されました。以来、上野東叡山寛永寺の末寺として江戸三百余年の間、安政の大地震やその他の火災・水害にも遭わず、多田薬師として信仰を集めた。

大正12年(1923)の関東大震災には本堂消失。
その大火の中、昭順住職(第二十七世)及び信順住職(第二十八世)がご本尊及び法華経を背負って、難を逃れることができた。
(昭和59年9月作成の由来記より一部抜粋)

現在地に移り早90余年を経過しております。昭和24年東江幼稚園開設。近年は開かれたお寺・子育て薬師・東江寺として親しまれています。
生まれたら死ぬ、死をも受け入れ且つ、最後まで人生を味わおうとする志をもっている方々と「大いなる生命の流れ」の中で願いをもって喜びの方向に歩みたいと思っております。

江戸時代の東江寺
『江戸名所図会』巻之七 揺光之部

通称:多田薬師 ( ただのやくし )

〒125-0041 東京都葛飾区東金町2-25-12

TEL. 03-3607-0530

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